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市場ともち平の謎 Vol.2

久万ノ台にできた中央卸売市場ともち平
 その頃の日本の国では、生鮮食料品の安定供給と価格形成に取り組む政策を推し進め、中央市場法を制定しました。このとき全国各地に中央卸売市場が沢山設けられて、点在する小さな地方市場が統合されていった訳です。
 本来の中央市場は青果・生花・鮮魚・肉などが揃ってこそ総合市場と言えるのですが、当時三津にあった魚市の伝統を守ろうとする人たちの移転への抵抗などがあり、青果と鮮魚が分離した、おかしな市場になってしまいました。このことが後になって深刻な問題となってゆくのです。
 このときに現在の松山中央卸売市場が久万ノ台に出来て、中央市場には当時付属店舗と呼ばれておりましたが、沢山の食品卸売業者が入居しまして、より多くの品揃えを準備する市場の機能を補っておりました。その仲のひとつが「平井餅店」現在の「もち平」であります。
 搗きたての湯気の出そうなやわらかい餅や蒸したてのお饅頭などを市場にきた商人さんに販売し、その美味しさが評判を呼んで、大勢のファンを獲得しました。その頃からの少しずつの積み重ねが、現在のもち平の信用の基礎となっているのです。
 市場とともに成長し、八百屋さんを通した流通では全国でも極めてユニークである餅菓子専門店として存在し続けるもち平の歴史がそこここに刻まれています。
 それから毎日毎日今のように人の心と心を結ぶ温かいネットワークにのって皆様のもとへ届けられているのです。

 このようなわけで、高い塀に囲まれた中央市場という中でその存在がなかなか皆様の目に触れることも少なく、「もち平のお店どこにあるの?」「どこで買えばいいの?」等という質問がよく聞かれるのです。

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日本経済の高度成長時代に
 昭和40年頃といえば日本の経済成長率が毎年10パーセント以上の伸び率を見せていた頃です。優秀な日本の工業製品がどんどん海外に輸出されて外貨を獲得し、大阪の万国博覧会に象徴されるように、日本中豊かな暮らしに沸き返っていました。
 しかし良い時代がずっと続いたわけではなくて、昭和40年台の後半から50年初頭に掛けては、中東からの原油輸入がストップしたりして、大混乱に陥り、石油ショックという大パニックを引き起こしたりしたことが思い出されます。