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市場ともち平の謎 Vol.1

創業者 平井義晴
 もち平の創業は今から遡ること40年。昭和37年ですが、創業者の平井義晴は大正9年2月21日に、愛媛県で、平井徳冶とマサヨの間に次男として生まれました。
 義晴は次男でしたが家計を助けるべく小学校を卒業すると同時に、松山市の元 大黒屋に修行に入りました。生来負けず嫌いで、研究心旺盛な義晴は、若い時から主人の目にとまり、ここで菓子と商いの基本を学びました。
9人兄弟の4番目ながら兄弟の面倒もよく見、長女よしみ等とともに幼い兄弟達を学校にやったと伝えられています。 そんな義晴も太平洋戦争という大きな戦渦に巻き込まれてゆくのですが、ニューギニアへ出兵という過酷な戦争体験を経て、 何とか命からがら帰国した義晴でしたがその後の深刻な食糧不足による飢えの苦しみが続きました。
 その後松山ではまだなじみが無かったスーパーの走りとなる店を木屋町と上一万に開き事業を開始したのですが、菓子作りにかける夢捨てきれず、昭和37年に平井餅店を開業するのです。
 そこが千周町にある温泉青果農協の市場だったわけです。当時の国鉄松山駅に隣接するこの市場は朝早くからセリが行われ大勢の青果小売商を集め凄い賑わいを見せておりました。

 野菜や果物を競り落とした後、商人は平井の餅屋へ寄って搗き餅等を買って帰っていたのです。
                        Vol.2に続く

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もち平のお店どこにあるの?
 松山ではお餅の専門店として知るひとぞ知る「もち平」の商品は「どこへ行けば買えるのでしょ」こんな質問をよく聞きます。久万ノ台348番地1がもち平の所在地ですが、ここは松山市民の台所というべき生鮮青果物の卸売市場であります。

 普段、一般のお客様は卸売市場という響きから「小売はしてもらえないのではないか」とか「入ると怒られるんじゃないかとか」いろんな意味で近くなのに遠い存在でした。
 そんなところにもち平があるのか、それはもち平の歴史そのものであります。