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昔がとっても懐かしい郷愁感溢れる「かんころ餅」

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米などは貴重で、みんな芋を食べていた
 
 子どもは食べればひと時ひもじさを忘れられても、充分に食べものを分け与えられない親の気持ちは如何ほどだったのでしょうか。そんなときにせめてもの気持ちでこしらえたのが「かんころ餅」だといえるでしょう。

昭和20年代のかんころ餅の味を伝承することの意味

 
 さつま芋は本来日本人の主食ではありませんでしたから、非常食といえるものなのですが、これを多少味付けして食べやすくします。しかしながら米ばかりでなく小豆や砂糖なども同様に乏しい時代でしたから現在のように「あんこ」が中に入ってはいなかったかもしれませんね。

 昔を思い出し「いやな思い出ととなっているひとも居ますが、昔の母の姿を思い出し、懐かしく思う人は少なくありません。
 その懐かしさを味わってもらおうとするのがもち平の「かんころ餅」なのです・

 是非、若かりし頃の苦労話の余談の一つとして花を咲かせてくださいね。

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懐かしく思えるのは何故でしょう
 
 私の父は大正14年生まれ、戦争中に青春期を過ごし戦後は深刻な食糧不足にあいました。
 食べるものが無く、大勢いる兄弟の6番目で、いつもおなかを空かしていたそうです。そんなとき母親が作ってくれた「かんころ餅」が今でも忘れられないそうです。